ユリスの気まぐれ日記

ちょっと文章を書いてみたくなりました。

ポルノライブ6

色々と重苦しく書いてしまった部分もあるが、バタフライエフェクトも無事に購入して、CDの内容に感動して、たくさんの年代のファンがいることにも感動して席も良い感じで、思い出のTシャツを着つつ、新しく買ったグッズにもワクワクしてライブ始まる前から幸せいっぱいで、ライブでも必然的に幸せになるしかない状況の私である。

そのような状況の中で始まったライブ。

私は始まって2曲目で泣いてしまった。

自分でも驚いた。幸せいっぱいの気分で今日の私には泣く要素はないと思っていた。

過去の経験からいうと、辛かったときに癒された思い出の曲を歌ってくれて涙したことはある。

今回は新しいアルバムの曲で数日前にちゃんと聴いたばかりだった。

そういえば今思い出したが、先日晴一さんがツイッターで一曲丸々通して聴いて欲しいとつぶやいてこともあり、1曲通してその曲の世界を感じようとは思っていた。

久しぶりにちゃんと聴くポルノグラフィティの変化に驚いて心に響く曲が多くて、新鮮さを覚えて生で聴けるのを楽しみにしていたのだ。

それが、私の魂に刻まれたポルノらしいと思っている曲調に伸びやかな昭仁さんの声を聴いたら自然と涙が出てきたのだと思う。

その時の自分の感情に正解な言葉をつけるのは難しく感じるため、抽象的な表現になってしまう。

だが、バタフライエフェクトを聴いた時に感じたポルノグラフィティの変化を直に感じたのだと思う。

昭仁さんが曲に合わせてノリノリで歌っているのではなく、昭仁さんの声が曲そのものに溶け合っていたんだと思う。

考えながら書いているが、その言葉がしっくりくる。

元から大好きだったポルノグラフィティがまだまだ変化していることに感動したのだ。

ライブを見る前の前書きに書いた、ポルノグラフィティの変化、成長、、、成長よりも成熟してきたのだろうと書いたが、バタフライエフェクトの意味を晴一さんから聞いた後では、変化という言葉を使いたい。

昭仁さんが絶対的に変わったのだ。


先にも書いていたため、すでにお分かりだろうが、晴一さん側の席でよろこんでいた私。

いつもだったら晴一さんばかりを見ていた私は、今回は晴一さんじゃなくて昭仁さんから目が離せなかったのだ。

晴一さんはいつも通りにカッコイイギタープレイを見せてくれた。相変わらずのエロスを感じて、なんでそんなにずっとカッコイイのと思う。

出会って18年ずっとカッコよく居続けてくれるなんて素敵すぎる。

晴一さんのことを語るときはいつもの書き方に戻ってしまう私は晴一さんには乙女です😍


晴一さんへは、変わらない愛


昭仁さんは、ずっと変わらないと思っていた親愛なる感情が、さらなる深みを増した感じかな。


俺たち(私も)まだまだやれるんじゃない?ってね。